東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8307号 判決 1973年8月21日
原告
森田三代喜
ほか三名
被告
大橋住雄
主文
一 被告は原告らに対しそれぞれ各三六万円およびこれに対する昭和四六年一〇月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの、その一を被告の負担とする。
四 この判決は主文第一項に限り執行することができる。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告ら
(一) 被告は原告らに対し、それぞれ、九〇万四、六一五円およびこれに対する昭和四六年一〇月七日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言
二 被告
(一) 原告らの請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
(一) (事故の発生)
亡森田たつは、昭和四六年一月三日午後〇時頃・東京都荒川区荒川一丁目二九番三号先の通称「千住間道」上の横断歩道を横断中、被告運転の原動機付自転車(豊島区あ第九〇四四号、以下「甲車」という。)に側突されて、頭部および腰部打撲傷、脳震盪、第一二胸椎椎体圧迫骨折、右腓骨骨折等の傷害を受け、可能なあらゆる治療措置を受けていたが、老令も影響してか、気管支肺炎および脳軟化症等を併発し、病状は一進一退をくり返していたが、同年五月一四日午前七時三〇分頃死亡するに至つた。
(二) (責任原因)
被告は、甲車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条の責任を免れない。
(三) (原告らの蒙つた損害)
1 葬儀関係費 四一万八、四六〇円
原告らは、亡たつの死亡に伴ない右支出を余儀なくされた。
2 慰藉料 計三〇〇万円
原告らは亡たつの子であるが、当時たつは原告森田三代喜宅に同居し、円満な家庭生活を営んで、原告ら四名のよき理解者、相談役、まとめ役として、原告らの精神的支柱であつたので、本件たつの死亡により計り知れない落胆と精神的苦痛を蒙り、この精神的損害は各自七五万円と換算されるのが相当である。
3 弁護士費用
原告らは、被告が任意の弁済に応じないため、本件原告ら代理人にその取り立てを依頼し、弁護士費用として二〇万円を支払つた。
(四) (結論)
よつて、原告らは、被告に対し、それぞれ九〇万四、六一五円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和四六年一〇月七日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告の請求原因に対する答弁
(一) 請求原因(一)の事実は、亡たつの死亡が本件事故によるとの点を除き認める。たつは、気管支肺炎によつて死亡したもので、本件事故に基づく傷害によるものではない。
(二) 同(二)の事実は認める。
(三) 同(三)の事実は争う。被告としては死亡による損害は認めるわけにいかないが、傷害による損害は支払を拒むものでない。また、被告としては早々に損害の賠償に努めていたが、原告らの方で相当興奮して十分な示談に応じなかつたため今日に及んだもので、弁護士費用の被告負担の主張は当を得ない。
三 抗弁
当時雪まじりであつたので、同所をはじめて通る被告は、速度を落として時速二〇ないし三〇キロで走行しようとしたが、積雪のため横断歩道であることが認識できず、また横断歩道標識も男二人の傘のため見付け得なかつたが、路端にいるたつらに注視しつつ警笛を二、三回鳴らして進行していたところ、たつが突然左右をよく見ないでを傘をさしたままとび出したため、急ブレーキをかけた甲車が雪のためスリツプし、甲車の左ハンドルにたつが接触し、たつはしりもちをついたものである。右のように、本件事故発生については、たつにも過失があつた。
四 原告らの抗弁に対する認否
たつに過失があつたことは否認する。当時降雪中であつたが、路面は湿潤していた程度であり、ゼブラ状の横断歩道の道路標示は鮮明だつたのであり、被告において前方を注視し一時停止する意思があれば事故は回避し得たもので、本件事故は被告の一方的過失によるというべきである。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 (事故の発生および責任の帰届)
亡森田たつが、昭和四六年一月三日午後〇時頃、東京都荒川区荒川一丁目二九番三号先の横断歩道により千住間道を横断中、被告運転の甲車に衝突され、頭部および腰部打撲傷、脳震盪症、第一二胸椎椎体圧迫骨折、右腓骨骨折等の傷害を受けたこと、同人が同年五月一四日午前七時三〇分頃気管支肺炎で死亡したこと、被告が甲車の運行供用者であることは、当事者間に争いがない。
二 (因果関係)
〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。
(一) 亡たつは、明治二五年三月二日生の寡婦であつて、多少耳は遠かつたが、眼等はしつかりしており、身体の方も、非常に元気で、遠い所でもひとりで出歩いており、事故時も近所の神社への参詣の途上にあつた。
(二) たつは、前記傷害のため、全く歩行不能となり、全身の状態を監視されると共に、ギブスベツト装着、右下腿ギブス装着が施された。その後同女の症状は一旦は軽快していつたものの、その後風邪から気管支肺炎を併発し、症状は一進一退をくり返し、気管支肺炎のため永眠するに至つた。
(三) たつの受けた傷害については、頭部には頭蓋骨骨折も頭蓋内出血も認められず、左第一〇、右第九、第一〇肋骨の骨折および右腓骨骨折はいずれもやや軽傷であり、第一二胸椎椎体の圧迫骨折は中程度の損傷であり、通常の健康体の人ならば、そのような傷害の程度で死亡することはなく、また、気管支肺炎で死亡することも少ない。
(四) たつには、左右腸骨部、背面中央から腰部にかけて、右下腿外後部、左右踵部に褥創があつた。
以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
右認定のような亡たつの生前の健康状態、受傷の部位・程度、症状の経過および死亡の原因に鑑みると、たつは年令と本件受傷による体力の衰えのため、併発した気管支肺炎を克服できず永眠するに至つたことが推認される。ところで、たつのような年令層にあつては、ちよつとした風邪を悪化させ肺炎等で死亡することがあることは経験則に合致するところであるけれども、反面、風邪にもかかわらず、あるいは病気を克服し、より長い余命を全うすることもあるのであつて、要はその時点での同人の健康状態によるものであつて、たつの如き年令層の女子が、必ず風邪にかかり、その場合には肺炎等で死亡するとの因果律があるわけでない。そうすると、特段の反証のない本件では、前記認定した亡たつの事故受傷前の健康状態によれば、本件受傷による体力の衰えが、たつの死亡の一因をなしたものと推認するのが相当であり、したがつて、また本件事故とたつの死亡との因果関係の存在も否定することはできない。たしかに、通常、一般成人にとつては、この程度の受傷によつて死亡に至ることは稀有のことであるが、相当因果関係を論ずるに当つては、通常人にとつて相当かどうかを判断すべきではなく、当該年令層あるいは境遇の者にとつて通常起り得るものか否かが問題なのであつて、たつの如き年令層の女子にあつては、本件事故による受傷程度で余病を併発し、死亡するに至ることは稀なことではなく、相当因果関係にあるものというべきである。
そうであるとすれば、被告は、たつの生命を短縮したことによる損害の賠償責任を負わなければならない。ただ、その損害をどう算定するかに当つては、特段の立証がない本件では、平均余命(六年弱であること公知の事実である。)をもつて斟酌して行くほかなく、また、この点は重視されねばならない。
また、そのような相当因果関係判断に当つては、被害者の年令等は損害算定に際し斟酌されるべきであるから、亡たつの年令あるいは余病併発によつて、割合的に因果関係を認めるべきではない。
三 (損害)
(一) 葬儀関係費用
〔証拠略〕によれば、原告らは、いずれもたつの子供であつて、同女の死亡に伴ない、同女の葬儀をとり行い、四〇万円を下らない支出をしたことが認められ、これに反する証拠はないが、前認定のような亡たつの余命期間によると、このうち本件事故と相当因果関係にある損害は、一〇万円であるとするのが相当である。
よつて、特段の事情の認められない本件では、原告らのこの点の損害のうち、被告に対し賠償を求め得るのは各二万五、〇〇〇円である。
(二) 慰藉料
〔証拠略〕によると、亡たつは同原告と共に居住し、平穏な余生を送つていたところ、本件奇禍に遭遇したこと、同女は約三〇年前に夫と死別し、以後再婚することなく寡婦として過していたことが認められ、これら諸事情と、前記認定の亡たつの年令(余命期間)、亡たつと原告らとの身分関係等によれば、本件たつの死亡により原告らは多大な精神的苦痛を受けたことが推認されるが、この原告らの精神的苦痛は、各三〇万円をもつて慰藉されるべきが相当である。
なお、現在、慰藉料の定額化が強く唱えられており、当裁判所もそれに反対するものではないが、亡たつの如き年令層にあつては、従来の基準をそのまま適応するのは相当でなく、大幅な修正はやむを得ないものである。
(三) 弁護士費用
〔証拠略〕によれば、原告らは、被告が任意の弁済に応じないため、その取立てを弁護士である原告ら訴訟代理人に委任し、その手数料等として各五万円、計二〇万円を支払つたことが認められ、これに反する証拠はないが、本件事案の難易度、審理の経過および認容額、に照らすと、本件事故と相当因果関係にあるのは、そのうち各三万五、〇〇〇円と認めるのが相当である。
四 (過失相殺の主張について)
〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場は、荒川区会館方面(西)と東京スタジアム方面(東)とを結ぶ、歩車道の区別のない幅員八・五メートルの道路と歩車道の区別のない幅員三・四五メートルの三輪方面(南)から道路との丁字型交差点であつて、同所の広路側には幅四メートルの横断歩道が設けられていた。
(二) 当時、雪まじりの雨であつて、路面は湿潤し、すべり易い状況にあつた。
(三) 被告は、甲車を時速三〇キロ前後の速度で運転し、本件道路を西進していたが、東京スタジアム方面から本件交差点に至る道路は大きく左に曲つていたたため、横断歩道の約一・二メートル手前に至つてはじめて、横断歩道の左端に傘をさして立ち止つている亡たつらに気付いたものの、同所を通過するのははじめてであり、またみぞれ等の影響により前方注視不十分のまま進行し、横断歩道標識および横断歩道の道路標示を見落したため、漫然同人らが横断を開始しないものと軽信し、若干減速し、警笛を吹鳴しながら通過しようとしたため、横断を開始したのに気付いて急ブレーキの措置をとつたが、間に合わず、甲車の左ハンドルを亡たつに衝突させた。
(四) 亡たつも道路横断開始するに当たつて、右方確認不十分であつた。
以上の事実が認められ、これに反する被告本人の供述中の、当時路上に積雪があり道路標示が見えなかつた旨および傘で横断標識が見えなかつた旨の部分は、いずれも亡たつ死亡後になつてはじめて供述するに至つていること(警察・検察庁段階では述べていない。)に照らし、措信できず、この他右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、亡たつにも本件道路横断開始に際し、右方注視を尽せば、本件事故発生を回避し得たかもしれないが、車両等は、横断歩道により道路を横断しようとしているときには、当該横断歩道の直前で一時停止しなければならず、したがつて、特段の場合は別とすれば、歩行者の横断歩道による道路横断は絶対的に保護されているのであるところ、被告は前方不注視のため横断歩道であることに気付かず、徐行もしなかつたものであり、本件事故は殆んど被告の過失に基づくものといわねばならない。そして、これと亡たつの年令および歩車道の区別のないような道路状況によると、原告らの蒙つた損害については過失相殺をしないのが相当である。
五 (結論)
よつて、被告は原告らに対し、それぞれ三六万円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが、本件記録上明らかな昭和四六年一〇月七日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め得るので、原告らの請求はその限度で理由があるが、その他の部分は失当として棄却を免れることできず、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 田中康久)